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    「よろしい。承知した」

    が、徳次は話したいことが一杯あつた。彼には女の子ばかりが四人もあつた。一人いる男の子はまだ赤ん坊だつた。それらは全くうようよと、徳次の知らない間に生れて来たやうな気がした。家の中を葡はひずりまはり、土間にころげ落ち彼の足にとりつき、彼を「お父ちやん」と呼んだり、「お父う」と罵つたりする。彼は子供を可愛がつているのか煩うるさがつているのか、自分でも判らなかつた。彼にはあらゆることが矍鑠くわくしやくとした老船頭だつた父親がいつの間にか耄碌もうろくしてよろよろ歩くやうになつたこと、一番上の姉娘が或る時ひどい熱を出してから頭が変になつていまだに「八文」であること、何の気なしに押した無尽の請判で百円といふ大金を支払はされるのだと聞いて小半年の間世話人のところに文句を捻ねぢこんで手こずらせたこと、それらすべてのことが徳次には一体どういふわけで起きたのかさつぱり判らなかつた。それは漠然とした年月だつた。たゞ何かしらこみ入つて、一杯つまつて、過ぎてしまへば片つぱしから一向に手答へのないものになる年月だつた。それをどんな風に話したらいゝものだらう。

    徳次はやつと安心した。さう云はれてみると、なるほどちつとは大きいかなと思つた。持つて来た甲斐があるといふものだつた。

    房一には連れが二人あつた。

    「いや、あの晩の、ほんの三二日前です」

    「もう着てみましたか」

    むかしからおれとこの人とは仲よしだつた――それは押しかくすことのできない悦ばしさだつた。

    奇妙な貸家で、だいたい差配というものは家主に使われているのが普通のはずであるが、ここはアベコベに、差配が伊東で一二を争う金持で、御殿のような大邸宅に住んでいる。家主の方も相当な洋館にいるが、差配にくらべると、月とスッポンである。差配は七十ぐらいの老人で、市会議員で、土建の社長だそうだ。

    今、房一の顔に現れているのはさういふ怒気だつた。ただ、それは盛子に向けられているのでなしに、房一の内部に立ちはだかり、自ら押へつけしている、それから来る圧迫感だつた。――

    「ウシ!ウシ!」

    「いや、そのうち。――ぜひ御相談があるんですが。――そのうち、一度来ていたゞいて。いや、私の方から出かけませう。や、又――」

    人間の頭の廻転などというものは、その人の性質に応じて方法を講じることができるものだ。絶対のものではないし、神秘的なものでもない。苦しかったら、まず、方法を考えることだ。精神などといって、非物質的な張本にまつりあげるのは、精神を増長させるばかりで、物質的に加工しうる限度をひろげるように工夫すると、相当に細工のきくシロモノだということが分ってくる。

    だが、道楽息子にはちがひなかつたが、それだけでは済まないものがあつた。正文はそのはつきりと理解できないこみ入つた或る物が、単にあらゆるものを切りすててもなほ残る、あの単純な愛情だといふことには気がつかなかつたが、漠然とそれに惹かれた。

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